静岡市議会 2022-11-03 令和4年11月定例会(第3日目) 本文
もとより私は、多くの先人の皆さんがその時代時代、それぞれ悪戦苦闘しながら坂の上の雲を目指して歩んできたその歴史が今日の政令指定都市静岡をつくり上げたという歴史を重んじる、いわゆる保守の思想の持主であります。その観点から、この教会の歴史的価値・文化的な価値があるというふうに思ってこの取組を始めております。
もとより私は、多くの先人の皆さんがその時代時代、それぞれ悪戦苦闘しながら坂の上の雲を目指して歩んできたその歴史が今日の政令指定都市静岡をつくり上げたという歴史を重んじる、いわゆる保守の思想の持主であります。その観点から、この教会の歴史的価値・文化的な価値があるというふうに思ってこの取組を始めております。
これは私にとっての坂の上の雲であります。その中で、海洋文化施設はそのビジョンの重要なワンピースであります。この都市ビジョン、坂の上の雲を目指す中には、それは晴れの日もあるでしょう。雨の日もあるでしょう。曲がりくねった道もあるでしょう。凸凹道もあるでしょう。しかし、それを一歩一歩踏みしめ、乗り越えることによって、国際海洋文化都市・清水を実現してまいりたいと私は決意しております。
この点では、以前から「坂の上の雲」のリレー朗読会が行われており、本年7月にも袋井市より関係者が松山市を訪れて朗読会を開催したところです。このリレー朗読会には、元NHK松山放送局のアナウンサーをやっておられた加藤氏が指導役として加わっていてくださることも心強い点です。 この活動を基盤として、2019年度は袋井市での公開公募の朗読会を開催してはいかがでしょうか。
明治29年とは、日清戦争が終わり、日本が欧米列強に追いつくべく努力していた時代であり、ドラマならば坂の上の雲の時代でありました。第二次世界大戦後、親族・相続編が改正されましたが、それ以外の民法改正は一部にとどまり、さすがに現代社会とは整合性をとるのが難しい部分ができ、民法の抜本的な改正が望まれ、制定以来120年を経過しての大改正となりました。
当時は、富国強兵の中、日清戦争から日露戦争へと向かう、まさに坂の上の雲を目指していた時期であり、時の政府も、産業の隆盛を実現するための「人財」をどのように育成し送り出すかが、大きなテーマだったわけであります。
1つは坂の上の雲ですね。明治時代の青年が国のあり方を求めて、坂の上の雲を求めて、希望を求めて行動した。それから、村上龍の小説の中に、これは20年ほどぐらい前の小説ですけれども、日本にはいろんなもの全て手に入る。手に入る。しかし、今手に入らないのは希望だ。若者がこの希望を求めて、夢を求めて行動する。
清水港は御承知のとおり、19世紀末、明治32年といいますから、ちょうど日清戦争と日露戦争の間、日本が近代国家の歩みを始め、坂の上の雲を目指している、その真っ最中に開港をした、1899年になりますが、ことしで113年目を迎えております。我が国の国際貿易の拠点として、これまで地域経済の発展に大きく寄与してまいったのは御案内のとおりであります。
「坂の上の雲」でおなじみの道後温泉のある松山市は、手前に道後という名前もつけたそうですけれども、雲の形をしたナンバープレートをつくっているんですね。赤塚不二夫が関係している青梅市は、「シェー」とやっている漫画キャラクターを使って、こんなナンバープレートをつくっている。これは自転車とかオートバイをやっている業界の方々も関心を持っているんですね。
明治以来、坂の上の雲を目指し懸命に上り詰め、奇跡の経済大国になった日本ももちろん、世界はすでに下山の時代に入ったと思うと述べています。そうした時代をどう生きるのか、大変興味深い本でありました。氏は、私たちは再び世界の経済大国という頂上を目指すのではなく、実り多い成熟した下山こそ思い描くべきではないかとも述べています。 さて、今が上りなのか、下りなのか、極めて重要な判断をしなければなりません。
産業もそうですけれども、日本が置かれている立場というのは、今まで日本の場合にはどうしても、今の「坂の上の雲」ではありませんけれども、日清戦争を経て日露戦争でロシアと戦って勝ったという状況であったことによって、それから、日本の場合近代化が欧米の形をとっている。特にドイツの影響が非常に多くて、法律体系などはドイツの法律体系になっています。明治以降の日本の制度が、どうしても欧米の様式になってきたと。
坂の上の雲を求めてここまでたどり着いたものの、6年たった現在、政令市には政令市としてのさまざまな課題や限界がある。本市が市民の暮らし、安心を守るために果たす責任と比べて、まだまだ権限や財源が十分ではないと実感しているところであります。 指定都市制度は、これまでの指定都市制度に関する歴史的な経緯を冷静な目で見なければなりません。いわば妥協の産物だったのであります。
例えば、デザインつきのナンバープレートの第1号というのは松山市でありまして、地元生まれの秋山兄弟が主人公の坂の上の雲にちなみ、プレート全体が雲の形をしたユニークなナンバープレートでもあります。
この経済不況を打破するためには、過去の栄華と比較するのではなく、今、テレビで放映されている「ここにまことに小さな国がある、その国が開花期を迎えようとしている」とのナレーションで始まる坂の上の雲の登場人物のように、おのれのことよりも国のことを思うひたむきな日本人の姿に戻ることが必要なのかもしれません。 要望事項は2点であります。
明治初期のものまで含めると、昨年末から、TBSの「JIN」、NHKの「坂の上の雲」、「龍馬伝」と目白押しである。また、一昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」は平均視聴率24.5%という大変な人気を博したようだ。いずれのドラマも脚本が良く、「幕末通」というより単なる「幕末好き」を自称する私も例外でなく、大変面白く拝見した。
さて、市長は今定例会の冒頭の施政方針で、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」に例えて、これからの進むべきあり方を語られました。成熟社会にまで行き着いた我が国の状況を憂い、これからは新しい坂の上の雲を見つけて、将来に向かって、夢、目標を持って、課題山積する市政に対処しなければならないとの言葉で表明されました。考え方としては立派で、私も頼もしく聞かせていただきました。 しかし、問題はこれからです。
終わりになりますけれども、私たちは小説「坂の上の雲」に代表される近代という時代を、「しあわせの雲」を目指し、だれもが疑わず行動することで今日の繁栄を築きました。だれもが一様に希望がみえるまちが存在していたのです。いわば青年期の日本の姿であります。
時間がありませんので、3番目にいきますけれども、教育長選考に関して、公選制を含む新たな方式についてということで、現在、「龍馬伝」とか「坂の上の雲」が話題になっている。「坂の上の雲」において、司馬遼太郎が日露戦争の旅順や203高地攻防戦の中で、ロシアのステッセル中将やその他の大将について述べているところがあります。随所に述べられているわけです。
ちょうど今、NHKでは司馬遼太郎原作とする「坂の上の雲」を放映しております。ごらんになっている方もいらっしゃるかと思うのですけれども、初めて日本という国を持った明治の人たちの青雲の志に思いを寄せた方もいらっしゃるかもしれません。当時の台湾の、しかも南部という未開の地に乗り込み、地下ダムをつくったという明治の人たちの気概や気骨の一端に触れた方もいらっしゃるかもしれません。
まずアとして、これまで取り組んでいる心の耕しの現況について、次にイとして、私自身、歴史物が好きで、特に、昨晩から始まった「坂の上の雲」は、鎖国から初めて世界へ飛び出していく様子に、その時代の日本人に大きな志を感じさせるなど、元気をもらえる司馬作品として、特別な思いで楽しみにしておりました。また、先ほど紹介した米津町の伝承のように、我が郷土についても関心を持っています。
この宣言文の要諦は、時代の変化にとらわれない、まさに人づくりの根幹たる道をとうとうと読み上げる一文であり、浜松教育の方向性を指し示す「坂の上の雲」として長く掲げる響きを持って、子供たちが大人になっても生き方としてそらんじる浜松育ちの原点とお願いするところでございます。